24歳ニートのブログがバズって金になればいいのに

16歳弟「俺が24歳だったらとりあえずなんかしら働くけどね」

俺の親は優しすぎる

 

 

今日は小学校の頃通ってた塾の人たち俺合わせて4人とその先生の一人との5人で会って話してた。

8月の下旬に13年半ぶりに会った子って話をしたが、まあそんなこと覚えてる奴いないと思うんだが、その子たちと。

みんな大人になってから話すと面白いよね。みんな大人になってみんな大人だから持つ悩み抱えたりしてんのに俺ら一番長く一緒にいたの小学生の頃なんだもん。おもしろ。

とても楽しい会だった。

趣味で知り合う異性がいる〜みたいな話になって俺も趣味で交流できる場にもっと顔出せばいいのかな〜とか思ったけど自分と趣味同じ人俺全然好きじゃないわと思ってしまった、ラウドロック聴いてライブハウスとかフェスでモッシュダイブしてる女性とか彼女にしたくなさすぎる。俺はどこへ向かえばいいんだ。

 

俺がそんな風にファミレスでバカ話をしている間、母は俺のために隣の市がやっている就職支援施設へ話を聞きに行ってくれたらしい。

 

どうせこの間書いたように障害者雇用とかを紹介する施設で俺は行きたくもないしクソなんだろうと思ってたけど、ここは障害者サポートとかではなく、シンプルに無職を支援する施設らしい。

帰ってきて母に少しだけ話聞いて俺もキレ散らかしたくはねえなあ…と思ってたんだけど割と良さそうなとこだったからネットのエージェントと併用してここの話も聞いてみようかと思った。

 

 

母は何でここまでしてくれるんだろう。

なんか申し訳なくなってくる。俺はそこまでの存在だろうか。

そして俺はこんな歳にもなってこんなに母に人生を支えられて、それでもなお強い当たりをしてしまう。ただの甘えだ、そんなのはわかるけど何で自分でもそうなってしまうんだろう?と思う、ただの甘えなのはわかるんだけど。

 

暴力はなかったけどモラハラと暴言の酷い亭主関白だった父はいつも母と俺を虐げていた。今でも俺は父の部屋だった部屋のドアの開閉音とか、よく怒られた廊下を歩く大きな音を聞くと一瞬身構えてしまうくらいだ。家族のあらゆる動作が当時と結びついて、あの時みたいだなあ…と怖くなる瞬間がある。まあみんなそれくらいあるっていうか俺の周りの人に限って言えばもっとひどい人ばかりだ。

 

何でも人と環境のせいにしたい俺は、今でも母に強く当たってしまうのは家庭内の人に愛情を持つのは恥ずかしいことだ、と教えられたわけではないが、そんな状況を見たことはなく、家庭内の人はディスるべき人間であるという環境で育ってきたからではないかと思う。

 

でもこれも言い訳であることはわかる。理由はシンプルに弟が俺と同じではないからだ。

 

俺にはお金がない。

なんか今日は飲酒欲求が止まるところを知らずコンビニへ酒を買いに行ってしまったんだが、その間に、お金があったら母に家を買ってあげたいなあとか、美味しいもの食べさせてあげたいなあ、とか考えてた。俺が投資で成功すれば何でもしてあげられるのに今じゃ何も……とか。何か返さなきゃいけないのに、とか。だってここまでしてくれてるから。

 

 

でも本当の親孝行ってきっと全然違う。

いつも目の前にいる母に常日頃から感謝してそれを言葉にして伝えることだと思う。実家に寄生してる俺なんか特にいつでもできるんだから。

親孝行って金なくてもできるんだろうし、むしろ金で解決しないことが最大の親孝行になる気がする。

人は死ぬ間際、物より思い出を噛み締めると言うし、俺の今までの大したことない経験を考慮したって同じ値段でも物より経験の方が価値を感じてる。

と、こんなネットの海に垂れ流しつつ本人に直接伝えられないのはなんか俺は「家族愛」ってものを知らない気がするからなんだよ。「愛」は全て恋愛に結びついてしまっているというか。なんかもう誰に何思われてもいいやみたいな気で言えば、その先にセックスがあるみたいな感覚なんだよ。わかるかなこれ、母に優しくすることって、女の子に優しくするのと同じことをしてるって気持ちになってしまうんだよ。だからとてつもなく気持ち悪いし、違うってわかっててもそう簡単にできない。理由は当然母を恋愛的な観点で異性として見れるわけがないので。

 

でもこのままじゃあ明日事故で母が死んだら、俺は鬱を抜きにしても気持ちを前に生きていけるだろうかと考えたらやっぱり無理なわけである。だってわざわざもう今年25になるニートの息子のために一人で就職相談に行ってくれてんだよ。無理でしょさすがに、俺だって少しくらい人の心あるわ。

 

あれこれ言い訳してる場合でもないよね。でも金がなさすぎたせいで親孝行って金じゃないよなって気付けた部分はなんか良かった気がする。